広報にほんまつNo.120
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広報にほんまつ 2015.112三の丸相生滝本坂御殿跡松森舘●❸●❷●❶今年で合併10周年を迎える二本松市。各地域に名所がちりばめられているこのまちは、県内外、そして海外の人々をも魅了する観光名所であふれています。 現在、市内に残されている名所には、歴史と伝統が今なお息づいており、昔から多くの人々がこれらの名所に足を運び、そして感銘を受けてきました。 今回は、世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の「行ってよかった日本の城」ランキングで第13位に選ばれた、市を代表する名所・二本松城跡(霞ヶ城公園)をご紹介します。 晩秋の風を肌で感じながら、この機会に歴史と文化のまち二本松の魅力を再発見してみませんか。まちの魅力を歩いて再発見国指定史跡 二本松城跡(霞ヶ城公園)❸箕輪門丹羽光重公入府直後、御殿と共に最初に建造した櫓門。材料のカシの巨木は、領内箕輪村山王寺山の御神木を用いたため、この名がつけられた❶旧二本松藩戒石銘碑藩士の戒めとするため、5代藩主・丹羽高寛公が藩儒学者の岩井田昨非に命じて、通用門前の自然石に一夜のうちに刻ませたのもだといわれている。[4句16文字の銘文~お前(武士)たちの俸給は領民の汗と脂の結晶である。常に感謝し領民をいたわらなければならない。この気持ちを忘れて領民を苦しめれば天の怒りに触れるであろう~]❷二本松少年隊群像戊辰戦争激戦地・大壇口戦場の少年隊の奮戦姿と、わが子の出陣服を仕立てる母の姿を、二本松市名誉市民の彫刻家・橋本堅太郎氏がブロンズ制作し、平成8年に建立❹るり池光重公時代の造園の姿を今に残す。布袋滝との組み合わせが、小規模な回遊式庭園ながら、自然との一体感をかもし出す❻霞ヶ城の傘マツ別称「八千代の松」ともいわれる。樹齢300年を越す。1本の幹から傘状に枝を伸ばし、東西に14mもあるアカマツの巨木❼二合田用水丹羽光重公により、城を守る十分な水を確保するため、安達太良山麓より延々18kmもの距離を城内各所に引水した用水。工事は幕府に内密で行われたことから、秘密を守るため「罪人が逃げ出し、藩は山狩りを行っている」と噂を流したとも…❺洗心亭城跡内に唯一残る江戸期の建造物で、木造カヤ葺き・寄棟平屋造りの茶室。当時は「墨絵の御茶屋」といい、光重公がこよなく愛した

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