広報にほんまつNo.128
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5Nihonmatsu City Public Relations, 2016.7, Japan 現在の二合田用水は、水源を主に岳ダムからの水へ移し、所々改修しながらも、昔からの流路で各地へ分水しながら、今も多くの田んぼで利用されています。また霞ヶ城公園内では、滝や池などの景観用としても利用されています。 この二合田用水は現在、農家の皆さんで組織する二本松市土地改良区の「二合田用水路維持管理委員会」が中心となって、水路の清掃や補修、水の管理をしています。 農業用水といっても、その受益者は田んぼを作る農家だけではありません。現在も昔と変わらず、火事の際は水をせき止めて消火用として使用し、家庭から出る生活排水は、用水路へ排水され川へ流れ込んでいます。また用水を利用する稲作は、私たちにおいしい米を提供してくれる他、美しい田園風景を残してくれています。 歴史的にも大きな価値のある二合田用水ですが、当時の資料は残念ながらほとんど残っていません。そのため、この貴重な水路の歴史的由来や背景が時代とともに風化してしまうことが懸念されます。しかし、地元の二本松北小学校では、現在も総合学習の時間に、実際に水路を見学しながらこの二合田用水の歴史を学んでいるそうです。二本松市の貴重な歴史を、子どもたちがしっかりと受け継いでくれています。【参考図書】安達太良山の水 二合田用水を行く(渡邉明雄 著、歴史春秋社発行)二本松藩と二合田用水の変遷現在の二合田用水と管理▲昨年の草刈りの様子1600年西軍についた丹羽長重公は徳川家康公率いる東軍に敗れ、蟄ちっきょ居の浪士となる1619年長重公、常陸国江戸崎2万石へ移封1622年長重公、常陸国棚倉5万石へ加増移封。後に棚倉城を築城1627年長重公、白河10万700石へ加増移封。後に白河小峰城を改築1643年丹羽光重公、二本松へ国替え入府。初代二本松藩主となる1652年このころ山岡権右衛門らにより二合田用水建設計画がたてられる1658年磯村文蔵が二本松藩へ仕える。このころから二合田用水の本格整備が始まる1679年光重公の隠居により、長男の長次公が二本松藩第2代藩主となる1700年二合田用水路完成(推定)1701年丹羽光重公死去1868年戊辰戦争により二本松城が落城1979年岳ダムが完成し、江戸時代からの大堰取水口の役目を終える~ interview ~二本松市土地改良区「二合田用水路維持管理委員会」委員長 菅すが澤さわ傳でん治じさん歴史あるこの用水路を、これからも守り続けたい 日本のどの地域でも同じように、農村の過疎化、高齢化等により、農家戸数の減少が顕著になってきている現在、用水路を田畑の受益者だけで維持管理していくのはなかなか大変な時代となってきました。 しかしこの二合田用水は、単に田んぼの引き水としてだけではない歴史的な価値があるものだと思います。 江戸時代からこの地域に潤いを与えてきたこの用水路を、これからは地域一体となって守り続けたいと考えています。『二合田用水路探検ウォーク』 参加者募集!日 時 7月31日(日) 10:00~16:00(受付時間:9:30~)    ※雨天中止 ※各施設へは事務局車両で移動集合・解散 霞ヶ城公園少年隊群像前順 路 霞ヶ城公園→高平配水場→大堰(二合田水源)→岳ダム(昼食)    →岳ダムトンネル→大隣寺(丹羽家墓所参拝)→霞ヶ城公園    ※今回は提灯測量を再現し、実際に体験してもらいます参加費 無料   申込期限 7月22日(金)定 員 30人(先着順)※小学生以下は保護者同伴服装等  水場での見学・体験となりますので、長靴(水路内は原則着用)や着替え、タオルの準備をお願いします。昼食には二本松産米のおにぎりを用意しています。 ◎問い合わせ・申し込み…二本松市土地改良区事務局(農林課内)☎(55)5118江戸時代に開削された二合田用水路。今も貴重な水資源を私たちに供給してくれています。昨年に続き2回目となる探検ウォーク。先人たちが築き上げた遺産を肌で感じてみませんか。

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