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近代製糸業の先覚者 山田 脩(やまだ おさむ)

近代製糸業の先覚者
山田 脩(やまだ おさむ):1841年~1921年

山田脩

霞ヶ城公園内・三の丸跡地(菊人形会場)に市街地を見守るかのように立つ銅像は、わが国最初の民間機械製糸工場の創始者・山田脩翁です。

翁は天保12年4月26日、藩士・梅原直次郎の二男として出生。幼名を省吾と称し、のち藩士、山田友松の養子に迎えられ家督を継ぎ、名を権太左衛門と改め、二百石を給されています。
戊辰戦争後、志を海運業に求め、のちの三菱財閥創始者である岩崎弥太郎に相談を持ちかけたところ、岩崎は“君の故郷には蚕糸という天賦の業がある。この事業こそ君の為すべきもので、天命ではないか。”と進言しました。
この言葉で翁は開眼され、郷里の蚕糸業発展への尽力を決意したのです。

明治6年(1873年)、政府拝借金による二本松製糸会社創立に、小野組代理人の佐野利八や実兄の梅原親固らと共に参画。城址での工場建設の監督者として尽力し完成を見、操業が開始されました。
同10年、海外への生糸直販の利を知っていた翁は、まったくの英会話能力がないにもかかわらず、その実現を果たすべく単身で渡米。ニューヨークに支店を開設し、大成功を収めました。のち、この直販利益をもって会社の政府拝借金を整理返済したのです。

製糸会社が解散するや、副社長であった翁は“年来の苦心の結果を放棄することは水泡に帰するもの”として、土地・建物一切を買受け、明治18年に個人経営としてはわが国最初の機械製糸工場「双松館」を発足させました。
製糸方法の改良を絶えず行うことによる生産高増のため経営は順調で、結果として共進会や博覧会などに出品するたび、その品質は評判を博しました。また、賞勲局から実業精励により緑綬褒章や大日本蚕糸会から事業功績表彰を受けています。
二本松製糸会社から双松館の創業と近代製糸工場への発展の足跡は、いずれも翁の経営方法の適切な処置と冷静な判断の結果であり、福島県製糸業に確固たる足場を築いた「製糸業の父」といえます。

一方、政治家・事業家としての事績も特筆されます。
明治30年、町民の切望のもと三代目二本松町長に就任し、三年間町政を担当し経済振興などに尽力しました。また県下中学校創立資金や町衛生費に対する寄付をはじめ、大正7年の本町大火では火災罹災救民救助として一千円もの援助金を投じています。
大正10年5月24日、最も愛した寓居の洗心亭(せんしんてい)で唯一の楽しみである囲碁に興じたのち就寝し、そのまま帰らぬ人となりました。当時“八幡様か山田様”と称されたほど町民に尊敬され、また安部井磐根・梅原親固と共に「郷里の三尊」といわれたことは翁への何よりの感謝の表れで、葬儀参列者が数千人を数えたことはその証明といえます。

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