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本県在住初の芥川賞 東野辺 薫(とうのべ かおる)

本県在住初の芥川賞作家
東野辺 薫(とうのべ かおる)

東野辺薫

明治35年(1902年)3月9日小学校長・野辺保蔵(やすぞう)の長男として旧二本松町に出生、本名は野辺慎一(しんいち)。旧制安積(あさか)中学校(現・県立安積高等学校)を経て、大正12年(1923年)早稲田大学国漢文科を卒業後、長野県の旧制大月中学校教師となる。大正15年旧制安達(あだち)中学校に赴任し、以後会津(あいづ)、保原(ほばら)、福島女子、福島商業の各旧制中学・高校の教師を歴任した。

教職のかたわらに創作に精進し、昭和5年(1930年)戯曲「黎明(れいめい)を待つ人々」を東京旭出版部から刊行、それに同16年『毎日新聞』の懸賞小説に応募した「国土(こくど)」が1位当選し『サンデー 毎日』9月より12月まで17回にわたって連載された。

昭和18年(1943年)年9月、『東北文学』1号に発表した「和紙(わし)」で第18回芥川賞を受賞、翌年『文藝春秋』3月号に転載され一躍脚光をあびた。この小説は、安達郡安達町上川崎の紙漉(かみす)き集落が舞台で、戦争という極限状況のもとにおかれた農民の哀しみをさりげなく、しかもほのぼのとした温かさを感じさせる佳作であり、戦争末期にさしかかって出版統制の厳しさの中で、純文学の灯をまもった作家の一人であった。選者の横光利一(よこみつりいち)は「『和紙』は整理に苦心を払った美しい作品である。手に余った滴り(したたり)のないのが難点かと思われるが、上手の腕から水は洩れていない教養がうかがわれ、読後の感は刺戟(しげき)を残さず無事な纏まり(まとまり)に好意を集めた。」と評価している。戦後、昭和21年福島市出身の画家・吉井忠(よしいただし)の装悼によってこの『和紙』が単行本として築地書店から刊行された。

昭和23年(1948年)『福島民友新聞』に「女体軌跡(にょたいきせき)」を連載、さらに昭和32年に創刊された『北陽芸術』の創刊号・第2号に戦後の代表作「人生退場(じんせいたいじょう)」を連載した。これは勧告を受けてから校長離任式の日にいたるまでの、いわゆる大物校長のあがきを衝いた(ついた)作品である。

日本ペンクラブ会員であり、また福島県文学会会長・福島県文学審査委員として後進の指導に尽力するなど県文学界の発展に大きく貢献したが、昭和37年(1962年)6月27日福島市の自宅において病気のため60歳で逝去した。法号「文秀院慎光浄薫居士」、龍泉寺(りゅうせんじ)(市内二伊滝(にいたき))に眠る。昭和53年市民有志により観音丘陵遊歩道の成田(なりた)園地に『和紙』の自筆原稿の1節を刻した文学碑が建立されている。

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