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明治期の政治家・歌人 安部井磐根(あべい いわね)

明治期の政治家・歌人
安部井 磐根(あべい いわね)

安部井磐根

天保3年(1832年)3月17日、二本松藩士・安部井又之丞(またのじょう)の長男として出生。名は清介(せいすけ)、通称を惣右衛門(そうえもん)、明治になって磐根と改名、号を梅叟(ばいそう)または真清水廼舎(ましみずのや)。
弘化3年(1846年)15歳のとき、父に従って江戸藩邸に移り奏者番(そうじゃばん)を命じられる。幼少より向学の志が高く、感情豊かな青年期には国学者・本居宣長(もとおりのりなが)に傾倒し、宣長が心血を注いだ「古事記伝(こじきでん)」を探し求めて膨大な量の48巻をすべて写本したが、詠歌・書にも優れていた。

戊辰戦争の際には最後まで勤皇(きんのう)の志を貫き、会津・仙台藩への藩使者に随行して帰順工作(きじゅんこうさく)に奔走した。戦後、城内にて自害した父に代わって家督を継ぎ。明治2年(1869年)町奉行となり、同3年から5年まで若松県(会津)の少参事・権典事(しょうさんじ・ごんてんじ)などを歴任し帰郷、同8年に自由民権結社「明八会(めいはちかい)」を組織し政治活動を開始している。

明治11年(1878年)福島県開設に伴い、議員に選出され初代議長に就任、その手腕力量は実に堂々とし、また弁論は満場を圧したといわれている。同12年郡役所制度創設に際し、初代安達郡長(あだちぐんちょう)に任命され、同15年には時の県令・三島通庸(みしまつうよう)の専横に憤慨し辞職したが、同19年に再び県会議員に当選し議長に選出され県政の発展に尽力した。

明治23年(1890年)第1回帝国議会開設に伴い衆議院議員に初当選、以来4回当選を果たし、 この間、全院委員長、さらに衆議院副議長を歴任している。特に同26年には時の議長・星亨(ほしとおる) が官紀腐敗に連座したため、議会の品位を汚したことへの議長弾劾演説を行い、除名・院外追放に追い込んだ。また、国会において外尊内卑の欧化主義から外人自由活動容認の内地雑居政策に反対し、大井憲太郎(おおいけんたろう)ら同志と大日本協会を結成し治外法権撤廃・現行条約励行を叫び、その建議案を提出するなど政府批判の矢面に立ち国会の停会・解散の原因をつくったことは有名な話である。

明治35年(1902年)政界を引退、以後公職に就かず、市内郭内(旧・北條谷(ほうじょうだに))の地で好きな梅の木を愛しながら、もっぱら国学や和歌そして書道に親しみ悠々自適の余生を過ごした。著書には、『真清水舎集』『梅花千首』『磐根翁長歌集』などがある。
大正5年(1916年)11月19日、84歳の高齢をもって死去、法号「高寿院磐根梅叟居士」、法輪寺(市内松岡)に眠る。

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