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二本松城(霞ヶ城)

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年12月1日更新

白河より移封された丹羽光重公は10年の歳月をかけて築城したものです。戊辰戦争により落城、昭和57年に箕輪門が復元され、苔むした石垣に見事な庭園美にいにしえの昔が偲ばれます。

二本松城の写真

所在地 二本松市郭内三丁目

料金 無料

問い合わせ先
二本松市役所観光課
0243-23-1111

箕輪門

丹羽光重は、霞ヶ城の築城にあわせて門の建築も行いました。材料となる樫の木を箕輪村(現在二本松市内)山王寺山の御神木を用い、この門は楼門として完成し「箕輪門」と命名されました。

戒石銘碑

公園の東入口右側にある自然石に、寛延2年(1749)藩主が、儒学者岩井田昨非の献策により藩政改革と綱紀粛正の指針として刻ませたものです。

戒石銘碑の写真

洗心亭

江戸時代の茶室で、公園内のもっとも見晴らしのいい場所にあります。閑雅な趣があり、風流人や名士の茶会などが開かれています。

傘マツ

霞ヶ城公園内の南中腹にある樹齢約350年の老松(アカマツ)は、ちょうど傘をひろげたような形をしているため傘マツと呼ばれています。

少年隊の群像

戊辰の役で、ふるさとを守るために若い命を散らした二本松少年隊を顕彰するため、当市名誉市民である彫刻家・橋本堅太郎先生に依頼して制作したもので、二本松少年隊が勇ましく出陣した、箕輪門下の千人溜に建っています。

少年隊顕彰碑の写真

智恵子抄碑

智恵子台と名づけられた展望台には、大きな自然石に「あれが阿多多羅山、あのひかるのが阿武隈川」という「樹下の二人」の冒頭の句が刻まれています。


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