広報にほんまつ No.122
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■■■塩■ ■松地方(旧安達郡岩代町、二本松市と会津若松市は、かつて日本を二分した「戊辰戦争」で、ともに旧幕府軍として戦い、少年兵士であった二本松少年隊と白虎隊が奮戦しました。また両市には「ざくざく」と「こづゆ」という代表的な郷土料理や地酒など、同じ城下町として共通する歴史も数多くあります。時は戦国時代の天正年間、東和町、安達町、白沢村)を治めていた小浜・宮森城主大内定綱公が西念寺の夕■安上人を中国の寺に留学させ、上人が帰国の時に柿苗数本を持ち帰り西念寺柿として育てたとされています。この柿は近隣の農家へ分け与えるなどして広く親しまれていましたが、「独眼竜」と呼■■■■■■■■を制圧すると、大内一族は会津へと退却することになりました。このとき、会津に移り住んだ人々がこの柿を会津に持ち込んで大切に育て、今では会津地方の特産品である会津みしらず柿になったと言われています。この会津みしらず柿が、時を経て実に430年ぶりに、発祥の地である小浜地区へ里帰りしたのでした。大内一族が会津へ退却したあと、定綱の弟である大内久綱が会津に根付きました。久綱は、郷里の小浜をしのぶ宮森の姓にかえ、宮森四郎兵衛と名乗りました。四郎兵衛から四代目に当たる子孫、宮森久右衛門が会津鶴ヶ城の城門の一角で「井筒屋」として酒屋をはじめ、その後、井筒屋は現在も残る花春酒造と名を変えました。榮川酒造や宮泉銘醸は、この花春酒造から独立した酒蔵で、それぞれ宮森姓を名乗り、宮森三家と呼ばれています。宮森三家では、宮森顕彰会を設立し、5年に1度、祖先の郷里である二本松市小浜の宮森城や小浜城を訪れ、祖先の供養を行っています。平成27年11月21日、二本松市小浜地区にある西■念寺にて、毎年皇室に献上される会津みしらず柿の苗木が、二本松市長と会津若松市長の手によって植樹されました。なぜこの地区に植樹されたのでしょうか。その由来をご紹介します。■■■■ 会津みしらず柿が 二本松小浜へ里帰り〜四百三十年の時を経て〜会津清酒とのつながり二本松市会津若松市報にほんまつ 2016.1    低家賃宣言 ▲苗木を植樹する会津若松市の室井市長㊧と新野市長ホームページをどうぞご覧下さい。URL http://www.satou-gumi.co.jp安全・安心・快適!二本松市表1丁目552-7会社佐藤組株式TEL 22−8558会津みしらず柿」名前の由来 会津藩の藩主が、この柿を時の将軍に献上したところ『未だかかる美味なる柿を知らず』(こんなにおいしい柿を今まで知らなかった)と大いに驚かれたことから、「見不知柿」と言われるようになったという説があります。また、「身の程知らずに、枝が折れそうなほどたわわに実をつけるから」といった説や「あまりにおいしいので、わが身も考えずに食べ過ぎてしまうから」などの説もあります。初回は相談無料。土曜日も相談対応します。住んでみませんか!(頑丈で自然災害にも安心)

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