思い出が詰まったこの地域を人の心に残していきたい地域の人の協力で成り立つ仕事いつまでも「岩代の人」でいたい旧二本松市出身の私ですが、現在は岩代地域へ居住し活動しています。それは子どもの頃から岩代地域の印象がとても良かったからです。夏休みは毎日のように岩代図書館に自転車で通っていたので、地域の人たちもいつしか私に声をかけてくれるようになり、岩代の良い印象がいつまでも忘れられませんでした。協力隊になる前に住んでいた埼玉で、地域内で子どもが役割をもてるよう、地域の大人たちと一緒に活動していたことがあります。活動を通して、子どもたちが自分のいる街に誇りを持ち始めていることに気づき、生活と土地が密接していることを肌で感じました。 「ど私んはな子生ど活もしのてこいろた、だろう」 そ う考えたとき、岩代地域はとても楽しかったことを思い出し、この地で私ができることがあるのかなと考えるようになりました。『あのステキな地域を、これからも人に残すお手伝いがしたい。』そう思った私は、岩代へ移住することを決意し、現在に至っています。協力隊となった1年目は、岩代地域のことを教えてもらおうと、私はとにかく色々な人を訪ねて回りました。時には詐欺に間違われることもありながら(笑)。でも2年目となった今年は、人脈も増え、何かをしようとしたときに、何を、どこで、誰に頼めば良いのかが分かるようになりました。今年の8月に初めて挑戦した「夏休みいわしろ塾」。子どもたちの夏休み期間中に、岩代地域の小学生を集めて、陶芸や手足を使って絵を描いたりなど、ただ子どもを預かる場所としてではなく、毎回テーマをもって取り組みました。きっかけは、地域の方々が「子たのを思い出し、子どもの数が多い少ないではなく、今、子どもたちにしてあげられる精一杯のことがしたいと思ったからです。この活動でも、たくさんの地域の方に協力してもらい、改めて私一人ではどうにもならず、地域の人たちの協力無くしては協力隊の活動は成り立たないものなのだと痛感しています。私から見える岩代地域は、歴史や祭りがあり、天然記念物や温泉、道の駅まである資源豊富な土地です。そういった財産を地域の人たちが守ってきたから今があり、この財産を今後どうやって守り、広げていくかを一緒に考える仕事ができていることは、とても幸せなことだと思っています。私はこの地域で、とても充実した時間を過ごしています。協力隊の任期満了まであと約1年。協力隊という肩書きがなくなっても、いつまでも「岩代の人」でいたいと強く思うようになりました。大好きなこの地域をさらに活気付けられるよう、残された1年、精一杯頑張ろうと思います。▲初めて企画した「寺こん」。お寺の住職さんたちと入念な打ち合わせ▲イベントのチラシやホームページ、道の駅で販売する商品ラベルのデザイン・制作など、できることは何でもやります▲企画した「いわしろ塾」には、延べ170人の子どもたちが参加しました 東日本大震災後のボランティア活動がきっかけで、東京や埼玉で教育関係のNPO法人に従事し、その後に協力隊員として岩代地域へ。道の駅さくらの郷を拠点に現在活動しており、ウェブサイトの制作やイベントの企画・運営などを行っている。カメラで写真を撮るのが趣味でもあり特技でもある。さん (H26.10〜) どもが少なくなった」と話してい家探しから始まった協力隊生活。前へ進むには必ず誰かの助けがあった…その感謝の気持ちが、私の活動の原動力です岩代地域で活動中武■藤■■ 琴■■美■ 出身地:二本松市 前住所:埼玉県 (Uターン者)
元のページ ../index.html#5