広報にほんまつ No.133
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①⑤②① 昨年の権ごん立だち2人。権立とは初参加をする若者のことで、赤地の着物や母親の襦じゅ袢ばんなどを着て参加し、木で作った「太た刀ち」と、わらで作った「袈け裟さ」を身につける。④冬の寒空の下、水垢離で身を清める幡祭りの参加者たち④色とりどりの旗を手に、よそ30メートルを疾走する幡競走⑤治家公園下の一の鳥居の急な階段を、各堂社旗持ちたちが勢いよく駆け上がる② 権立が胎内くぐりをした後の「権立よばり」をしている様子。胎内くぐりとは成人儀礼のひとつで、羽山神社の下に「くぐり岩」があり、権立はこの前に太刀と袈裟を納め、岩の間を抜ける「胎内くぐり」を行う。その後、くぐり岩の上と下に立った先せん達だつたちが大声で問答をする「権立よばり」の儀式を行うことで、権立は晴れて大人として認められる。■12月3日(土) 水みず垢ご離り  18:00〜 木幡山参宿所前にて■12月4日(日) 場 所 旧木幡第一小学校グラウンド(出立式)しゃどう  8:30〜 各堂社(集落)の幡集合  9:00〜 出立式  9:30〜 幡競走、木幡音頭踊り、餅つきなど  10:00〜 出立(幡行列の出発)  11:00〜 治家公園着(昼食、イベント)  12:30〜 治家公園出発  14:30〜 羽山神社着(胎内くぐりなど)  15:40〜 隠津島神社着  解散 ※時間は全て予定時間となります。 由 来 〜祭りの起こりは、天喜3年(西暦1055年)。今から約960年前の「前九年の役」最中、陸奥地方鎮定に向かった源頼義とその子・義家率いる軍勢は、時の族・安倍一族との戦いに敗れ、わずか数騎で付近の農家で宿をとっていた。るとその夜、天女が夢枕に現れて「弁財天宮で祈願すれば願いが叶うだろう」お告げを受けた。敗戦の覚悟をしていた頼義父子は、夢に従い神社にて戦を祈願したところ、その夜、折からの雪で山上の木立はすべて源氏の「白旗」ように見え、攻め寄せてきた安倍貞任らの軍勢は、これを源氏の大軍と思込み、戦わずして退散してしまった。これが陸奥鎮定の原因となり、朝廷に申し上げたところ、天皇はその山を「木山」、山すその別当寺院を「治陸寺」(陸奥を治める寺)と名付けられ、後冷泉皇より宸しん筆ぴつの額を賜った。その後、神仏の加護を深く信ずる郷土民により、源氏の白旗に見立てた旗木幡山、そして別峰羽山神社に奉納する勇壮な平安絵巻「木幡の幡祭り」とて960有余年にわたり引き継がれ今に至っている。…井戸などで裸で水を浴び、身を清めます。日 程

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