広報にほんまつNo.151
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6広報にほんまつ 2018.61868年歴代藩主在職期間初代丹羽 光重寛永20年(1643) 8月  ~ 延宝 7年(1679) 4月2代丹羽 長次延宝 7年(1679) 4月  ~ 元禄11年(1698) 6月3代丹羽 長之元禄11年(1698) 8月  ~ 元禄13年(1700)12月4代丹羽 秀延元禄14年(1701) 2月  ~ 享保13年(1728) 5月5代丹羽 高寛享保13年(1728) 6月  ~ 延享 2年(1745) 5月6代丹羽 高庸延享 2年(1745) 5月  ~ 明和 2年(1765)12月7代丹羽 長貴明和 3年(1766) 1月  ~ 寛政 8年(1796) 3月8代丹羽 長祥寛政 8年(1796) 5月  ~ 文化10年(1813) 8月9代丹羽 長富文化10年(1813)11月  ~ 安政 5年(1858)10月10代丹羽 長国安政 5年(1858)10月  ~ 明治 1年(1868)12月11代丹羽 長裕明治 1年(1868)12月  ~ 明治 4年(1871) 7月それまでの藩内にあった21の学校を合わせて、藩校「敬学館」を設立する。1817年久保丁口に、丹羽光重公以来の悲願だった大手門(石垣上に二階櫓(やぐら)を具備)を築造する。(写真は旧自治センター前の大手門石垣跡で、築造から30数年後の戊辰戦争の兵火により、櫓門は消失してしまう。)この頃、歌川(安藤)広重が百目木を訪れ、「陸奥安達百目木駅八景」を制作する。1845年3月、幕府より江戸警衛を命じられ、同年9月、幕府より京都警衛を命じられる。7月、水戸天てん狗ぐ党とう騒動で鎮ちん撫ぶ(反乱や暴動などを静めること)を命ぜられ、出兵する。3月、富津警衛より江戸湾警衛に変更される。1868年  1月 京都鳥羽・伏見の戦いにより、戊辰戦争が起こる。  5月 31藩からなる奥羽越列藩同盟が結成される。  7月 小野新町、糠沢村、本宮の戦いで敗走する。7月29日 正午頃、二本松城が落城する。二本松藩戦死者337人、うち二本松少年隊14名戦死という悲劇を生む。  9月 二本松藩降伏嘆願書が受理され、二本松藩が消滅する。  12月 5万石二本松藩が復活する。10代藩主丹に羽わ 長なが国くに戊辰戦争の際の二本松藩主だった丹羽長国。二本松藩は1868年、奥羽越列藩同盟に加わり新政府軍と戦ったが、各地で敗戦し、7月29日、二本松城は落城。このとき二本松藩士たちは、長国を米沢藩に逃している。9月11日、長国の降伏嘆願が受理され、長国は謹慎を命じられる。10月26日、東京の前橋藩邸に移され、11月5日、官位剥奪・藩邸の没収を命ぜられる。12月7日、米沢上杉家より養子(のちの11代藩主・丹羽長裕)を迎え家名を立てることを許され、1869年9月に謹慎を解かれた。時が過ぎた1902年5月、長裕の次に家督を継いだ長保(長裕の実弟)が死去したことにより、長国は再び丹羽家の家督を相続している。11月、廃藩置県により二本松県が誕生、まもなく福島県に統合される。1858年6月、黒船への備えとして、幕府より富津海岸(現在の千葉県)警衛を命じられる。1834年1863年1864年1867年1871年

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