広報にほんまつNo.156
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7Nihonmatsu City Public Relations, 2018.11, Japan責任だと思っています。年を追うごとに、地元愛が深まってきている 熊谷さんが若いころは、今ほど地元に対する思いが強くは無かったといいますが、年を追うごとに、地元への思いが強まっているといいます。特に里山に住む人間はせっぱ詰まっているといいます。人が減り、何もしなければ衰退してしまうと考えている里山の人たちは、『何もやらないよりは、やって失敗したほうが良い。そのためには、地域を巻き込んで前に進むしかない』と考えています。子孫のためにも、里山の風景を残していきたい 東和地域の農家民宿立ち上げメンバーであった熊谷さんに、この地域で農家民宿が果たす役割についてお聞きしました。 「仕方ないことだけど、この辺りでも農業を辞める人が増えていて、耕作放棄地が増え、景観が乱れ始めてきている。俺たちが農家民宿をやることにより、外から来る人が増えることで、地域のみんなが景観を元のように良くしようと思って行動するようになれば、昔の里山の景色が戻ってくると思う。また福島県外の人に泊まってもらうことで、風評払拭にもつながると思っている。原発事故後、福島県内で生産される米や野菜、果物などは、他県には無い細かいチェックをして出荷されている。しかし、風評被害がいまだに存在するのは事実。行政機関や生産者がいくら大丈夫だよと外にアピールしてもなくならない。それよりも、外国人の宿泊者も増加してきている今、農家民宿に泊まってくれた人に地元産の野菜や果物を提供し、食べてもらうことで、福島県のものは安全でおいしいということを口コミで広めてもらったほうが、効果が大きい。実際うちに泊まってくれた人たちも、友人や家族に伝えてくれ、その人たちがまた泊まりに来てくれたりしている。俺の場合は家業の後継者も育ってきたので、子孫のためにも、この地域の景観を守っていきたい。」「農家民宿くまさん」オーナー熊くま谷がい耕こう一いちさん(63歳)  弥や生よいさん(61歳)結婚して37年目になる熊谷耕一さんと弥生さんご夫婦。耕一さんは高校を卒業後、2年間ほど民間企業で働いていたが、長男だったため家業の農業を継ぐ。現在は本業の果樹農家の他、NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会の理事長や、ふくしま農家の夢ワインなどにも携わっており、忙しい日々を送っている。平成24年に農家民宿を始めてから6年目。「以前は男子厨房に入らずを貫いていた夫でしたが、民宿を始めてからは、食事の片付けなどを手伝ってくれるようになりました」と弥生さん。一方の耕一さんは「お客さまが来ることで、家の中が前よりきれいになった」とおっしゃっていました(笑)。民宿を始めたことで、家の中での会話が以前より増え明るくなったという熊谷家。現在は息子の耕平さんが家業を継いでおり、ますます張り切るお二人でした。1_弥生さんお手製の料理。郷土料理「いかにんじん」と「ざくざく」は欠かさない 2_弥生さん直筆のレシピノート。宿泊されるお客さまのアレルギーなど、食事に一番気を使っている 3_台所で弥生さんとお客さまの大宮さんが、まるで親子のような会話を交わす 4_耕一さんとお客さまの恒例の晩酌。この日は深夜までお酒を酌み交わし語り合った民宿くまさんオリジナルのワイン1342

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