広報にほんまつNo.157
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Nihonmatsu City Public Relations, 2018.12, Japan13二本松戊辰戦争戦没者慰霊祭 祭さい文もん本日ここに、二本松戊辰戦争戦没者慰霊祭を挙行するにあたり、戦没者諸士に対し、謹んで祭文を奏そう上じょういたします。今を去る百五十年、戊辰戦争は慶應四年一月に京都における鳥羽・伏見の戦いに端を発し、江戸城の無血開城後、新政府軍はその矛先を徳川将軍家から会津藩、庄内藩へ向け、東北地方に侵攻するに至りました。二本松藩は、仙台藩、米沢藩と軍議を重ね、会津藩の新政府軍への謝罪降伏をもって和平解決への道を探っておりましたが、それが叶わず、不幸にも藩領が新政府軍の侵攻の途上であったがために、結果として奥羽越列藩同盟の最前線として、これを迎え撃つこととなりました。もとより二本松藩においても朝廷に弓を引くなどという考えは毛頭なく、降り懸かかる火の粉を払うが如く、只々攻め寄せる大軍に対して列藩同盟への信義を貫き、士道に殉じる道を選びました。しかしながらこれを迎え撃つ二本松藩の兵は、少数にて、老人、農民、町人、そして少年までも戦場へ出さざるを得ず、多くの犠牲を払う結果となり、藩の戦死者は総数三百三十七人に上ります。少年兵の中には、自ら抜ばっ刀とうすることができないほど体が小さい十二歳の少年も含まれており、また、その少年兵らの撤退を助けようと自らの命を擲なげうち、新政府軍に決死の切り込みをした藩士達の存在も語り継がれています。今、これらを想う時、万感胸に迫り、内心忸じく怩じたるものがあります。戊辰戦争から百五十年を経て、本日、本慰霊祭に臨み、改めて、歴史の狭間において我が国や郷土の将来を想い、志半ばで斃たおれられた貴い先人達に思いを馳はせ、哀あい悼とうの念をいよいよ深くするものであります。結びに、戊辰戦争で亡くなられた全ての方々の御み霊たまに、末永く頭こうべを垂たれ、香こう華げを手向け続けていくことをお誓いするとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 平成三十年十一月三日   二本松戊辰戦争戦没者慰霊祭   二本松藩主 丹羽家十八代当主 丹に羽わ長なが聰とし祭文を読まれる、二本松藩主 丹羽家18代当主の丹羽長聰様※この祭文(犠牲者へささげる言葉)は、式典当日に丹羽長聰様が読まれたものを、そのまま掲載しています。

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