広報にほんまつNo.164
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4広報にほんまつ 2019.7集特 昭和45年3月に「いなほ陸友会」は発足しました。『いなほ』は旧太田中学校(現在は統合し、東和中)の校章が稲の穂であり、人間形成に実りがあることを願い名付けられました。 発足した年の9月、結成事業のイベントとして開催を思いついたのが「ロードレース」でした。当時、一般の市民ランナーが参加する大衆マラソンは、東京の青梅マラソンくらいで、福島県内では初めての試みでした。 いなほ陸友会の会員は、22歳の斎藤さんが最年長で大半は高校生。恩師や高校の先生方の力を借りて120人の参加者が集まりました。 他ではやらないことをやろうと、日本初のマラソンシャワーを設置。ロードレースのコース沿いにあるメモリアル広場には招待選手たちの足形がありますが、これは「ハリウッドスターの手形を真似して作った」ものだそうです。 日本にないものに挑戦する東和ロードレースには、たくさんのランナーが訪れました。サムエル・ワンジル氏もその一人。東和に来て交流を深め、北京オリンピック金メダリストになりました。 50回の記念大会について斎藤さんは「こんなに続くとは思いませんでした。自分たちのためでもあり、地域のためでもありました。回を追うごとに数多くの団体が協力してくれる。それが東和の魅力であり看板です。地域の方の力添えがなかったら、ここまで続けられませんでした。」と語ってくれました。 当時、遠方から来る選手のために「民泊」が始まりました。地域の家にランナーが宿泊。採れたての野菜と素朴な人情。都会と田舎の交流となりました。それが礎となって、今でも東和には多くの移住者たちが訪れています。 「やりたいと思うことには力が入ります。夢に向かって活動して欲しいし、そんな若者たちを応援したい。青春激走、仲間たちとの反省会でビールかけをしたことが良い思い出です。今の若い人にもそんな気持ちを味わってほしい。」と、未来を担う若者への思いを語ってくれました。いなほ陸友会代表 斎さいとう藤 一いちお夫 さん(72)50年前、仲間に呼び掛け「いなほ陸友会」を発足。メンバーとともに東和ロードレースを立ち上げ、運営。1_島山公園の「マラソンの丘」2_メモリアル広場にある斎藤  さんの足形  広場には、今までの招待選手たちの足形も飾られている12

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