広報にほんまつNo.180
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9Nihonmatsu City Public Relations, 2020.11, Japan 先祖は殿様の身の回りのものを造っていたという畠はたけやま山保やすひろ弘さん(56)が職人さんをまとめます。学生時代は、室内空間のデザインを学び、約30年前、家業である家具造りに携わるようになりました。先代からは「何に対しても丁寧に扱うこと」「用途に合った道具をきちんと使うこと」を教えられたと言います。 ハタケヤマ家具では、無むく垢材を多く扱います。製品としては、関東向けの箪笥や食器棚を主に手掛けています。 古い箪笥の修理も数多く引き受けていて、キズを修復し、木を再生し、金具はサンドブラストで蘇らせます。この箪笥の修理には、古い箪笥を熟知している、安齋さん、根本さんらベテランの職人が当たります。 保弘さんは「昔ながらの技術を継承しながら、家具だけにこだわらず、木工に関する新しいことをやっていきたい。」と今後の抱負を語ってくれました。(有)ハタケヤマ家具【竹田】 安あんざい齋 克かつお夫さん(69) 根ねもと本 正まさあき明さん(63)1_古い箪笥の修理を手掛ける安齋さん。2_洗練された技術で鉋を掛ける根本さん。3_自作のキャンピングカーの居室部分。保弘さんの趣味でもある釣りや災害時の避難スペースとしても活用可能。4_木を組み込んでいる特徴的な引き出しの取っ手。 二本松の家具造りの技術には、素晴らしいものがあります。市内に職業訓練校があった頃は、県内のみならず、東京からも「何とかこっちに来てくれ」と言われるほど、二本松で学んだ職人は人気がありました。当時、職業訓練校生が技術を競う全国大会が開催されており、二本松から、ほとんど毎年入賞者を輩出していました。中には、卒業後、スペインで行われた技能五輪で世界第3位となった者もいました。 今でも、職業訓練校で学んだ職人が市内で数多く活躍していることを嬉しく思います。 私の希望としては、今後も家具の産地として発展してもらいたいですが、如いかん何せん販路が狭くなっているように思います。大きな量販店が出来て、以前のような「作れば売れる時代」ではなくなっています。 家を建てる時には造り付けが多く、昔とは、生活様式が変わっています。時代が変われば、それに合わせていかなければなりません。 もし、需要が減り量産をしなくなると、二本松は『産地』と言えなくなってしまいます。家具、木工に携わるみんなが一丸となって、一大消費地に売り込んでいけば、また、新たな販路の開拓も出来ると思います。元職業訓練校専門教務主任齋さいとう藤 只ただお夫さん(86) 旧飯野町出身。子どもの頃に父親と一緒に荷車を引いて、竹田坂に箪笥を買いに来た事が思い出。 二本松職業訓練校(木工科)では、職人を目指す若者を指導し、現在は、二本松市で生活を送る。多くの家具屋が軒を連ねる「家具の街 竹田坂」1324

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