小手森城址

小手森城址

小手森城址は小野主水、荒井半内、石川勘解由、小形源五兵衛それに定綱の甥菊池顕綱らが守る堅城でした。天正13年二本松、会津攻めを図っていた伊達政宗は、まず、大内氏の領する東安達の拠点、小手森城への総攻撃を開始しました。8月23日のことでした。城は、大内備前守定綱の臣、菊池顕綱らが守っていましたが力尽き、8月27日ついに落城しました。政宗は、兵と共に城にこもった農民の老若男女を合わせ、800余名のすべてを斬り殺しました。織田信長の比叡山焼き討ちにも比すべきものであったと言われています。この戦いの後、功により小手森城を与えられた石川弾正は、天正16年、伊達勢に抵抗し小手森城に兵を上げました。政宗は同年5月12日優勢な兵をもって、背臣への総攻撃をかけたのでした。戦火まだ治まらぬ、わずか3年後の出来事です。小手森城は再び500余名が討死するという悲劇に見まわれたのでした。豊臣秀吉による全国統一(1590年)の2年前のことです。このように、この城は、伊達政宗により2度の攻撃を受け、千数百名が討死にしたと今に伝えられています。現在は石塁のみが寂しく400年前を物語っています。

交通

二本松駅より針道経由東和小学校線宮の平下車徒歩10分、車で25分

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東和支所地域振興課 地域振興係

電話番号:0243-66-2490

ファクス番号:0243-46-4122

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  • 【ID】1693
  • 【更新日】2017年11月14日
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