後三年の役で、東国の賊を平定しようと、源義家が長者の宮を通った。夜も更けていたので、義家は一夜の宿を乞うたところが、長者の宮の族長であった虎丸長者は、無情にも義家の願いを拒んでしまった。
義家は止むを得ずに、附近に野宿したのであったが、官軍の宿を拒む者として心よく思わず、一夜を怒りのうちに明かした。
その夜を今も借宿(仮宿)と呼んでいる。
翌日になっても、虎丸長者への怒りのおさまらなかった義家は、長者の屋敷に火の矢を放ったため、広かった長者の宮も、多くの財産や貯蔵されていた食糧と共に、焼きつくされてしまったと伝えられている。