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近代陶磁器研究の先駆者 塩田 力蔵(しおた りきぞう)

近代陶磁器研究の先駆者
塩田 力蔵(しおた りきぞう):1864年~1946年

塩田力蔵

“近代日本の学界において忘れられた二人の篤学者”として、昭和28年発行の福島県立図書館報に紹介された一人が、わが国における近代陶磁器研究の先駆者として高く評価された塩田力蔵です。

元治元年9月8日、力蔵は城下若宮で半農半商(製粉業)を営む、「扇屋」塩田喜介の次男として出生。父喜介は、“知らないことは扇屋の爺様に聞け”といわれたほどの博識者でした。また、兄の健蔵は万古焼の製造販売を手がけたといわれ、この環境がのちに力蔵が傾注した陶窯研究に影響をもたらしたといえます。
松岡小学校を卒業後、福島師範学校を経て、松岡小学校訓導(教師)となり、のち首席訓導に昇進しています。しかし、その私生活は年中一着の詰襟の洋服を着て、瀬戸物いじりに没頭する毎日でした。

明治18年(1885年)、陶器研究の大志を立て上京、生活のため雑誌記者をしながら研究に傾注。同32年、ついに美術学校長の岡倉天心に招請され、同校に陶器講座を開設し、力蔵の研究は斯界の第一人者として高い評価を得ることになります。
同35年、日本美術院編集部主任兼日本絵画協会副会長に就任。同42年には日本窯業協会の『日本近世窯業史』編纂に専心するようになり、全く世間から隔絶した無頓着な日常生活は人々から奇人視され、学者としての大成とは裏腹に生活は窮乏の一途をたどったといわれています。

住まいはあばら家、病弱ながら一生懸命、学者として研究に励む向学心は凄まじいものがありました。給料や印税の大部分を、全国各地の窯元探訪と参考文献購入に充てていたため生活は困窮。金がない時は古本屋に通い詰めて筆写したり、またある時は研究費に困り、蔵書の大半を図書館に譲渡したともいいます。
研究のためならなりふりを構わない、“天真爛漫の純情な奇人”でした。

生活を顧みない献身的学究の結晶は、数多くの名著として残されています。
『明治工業史』をはじめ、『大日本百科事典』『陶器大辞典』等の陶器講座執筆、特に『日本近世窯業史』は実に10年の歳月を費やした大著です。ほかに『岡倉天心全集』『近世陶磁器と窯業』『支那陶器精鑑』等々。また未出版として『支那歴代陶窯類纂』は、昭和10年代から死去直前までの研究成果をまとめた、幻の大著作といわれています。

戦時中、甥の住む猪苗代町に疎開し、病苦と戦いながら前述の大著に没頭。昭和21年2月3日、栄養失調のため寂しく世を去りました。
中央の美術誌『古美術』は追悼文を掲載し、「・・・清貧に甘んずるという程の余力もなく、貧と病苦の中に独身で自己の学術に邁進して行った翁の姿を、誰が涙なしに偲ぶことが出来るであろうか。」と結んでいます。

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  • 【更新日】2017年11月11日
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