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幽玄・華麗なる日本画家 大山 忠作(おおやまちゅうさく)

大山 忠作 (1922~2009)

大山忠作

大山忠作画伯は、大正11年(1922)5月5日、現在の二本松市根崎に染物業を営む大山豊治・きくの次男、2男4女の第3子として生まれました。

幼児期を安達太良山と阿武隈川に囲まれた自然環境の中で過ごした大山画伯は、二本松第二尋常高等小学校卒業後に上京、東京美術学校(現.東京芸術大学)で日本画を学びます。
しかし、第2次世界大戦の戦況悪化により、学徒出陣のため繰り上げ卒業となり戦地へ向かうことになりました。

終戦を迎え戦地から復員すると、東京都美術館で開催中だった第1回日展を見て感動し、制作意欲を掻き立てられ、第2回日展では「O先生」を初出品し初入選となります。

以後、日本画研究団体「一采社」に参加、山口蓬春に師事し、日展を主な舞台として、描きたい物を描くという姿勢で、人物から宗教、花鳥、風景画まで幅広い題材の作品を発表し続けました。

大山画伯の代表的な業績としては、法隆寺金堂壁画再現模写への参加、日本芸術院賞受賞作「五百羅漢」、成田山新勝寺光輪閣襖絵「日月春秋」28面及び「杉」「松」「竹」22面、同じく聖徳太子堂壁画6面「白鷺」「蓮」「桜」「牡丹」「菊」「楓」の制作などが挙げられ、 日展においても、理事長、さらには会長として日本最大の芸術団体の舵取りを行い、わが国の芸術文化の振興・発展に尽力されました。

平成18年には、写生を踏まえた平明で骨太な描写、さらにその画技と団体への貢献により、芸術文化の向上に寄与したことが認められ、文化勲章を受章されました。

現代日本画壇の重鎮としてさらなる活躍を期待されていましたが、平成21年2月19日に86歳をもって逝去されました。

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  • 【更新日】2022年3月18日
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