種別
重要有形民俗文化財(県指定)
指定年月日
昭和54年3月23日
所在地
二本松市本町1-102(二本松歴史館寄託)
所有者(管理団体)
三島神社(二本松市矢ノ戸419)
概要
長さ19.7~22.4cm、幅12.6~16.4cm、重さ105~270g、平均すると長さ21.2cm、幅14.88cm、重さ196gを計る。尉面 2、姥面らしきもの1、女面1、癋見(べしみ)2、その他男面 4(内1面に植毛のあとあり)で、いずれも彩色の剥落が甚だしく、男面の一つは向かって左の頬が削がれており、また癋見(べしみ)両面の鼻先も欠けてはいるが、それらを除いてはほぼ原形はとどめている。
両癋見(べしみ)の面裏には、「塩松太平 大明神 □(三)□(島)神力坊」の墨書銘がある。他の3面 にも、「塩松大平之大明神」などの墨書銘のあるものがみられる。概して彫深く、面相に独特のものもあり、女面などは目の位置が著しく上方にあり、面をかける穴の位置も高い。また、それぞれの面裏の鼻の当たる所が摩れているのも認められる。文化元年(1804)に編纂されたといわれる『松藩捜古』に、
大平村下矢箆戸在三島神社ノ社内ニ仮面十アリ、運慶ノ作ト云伝ヘタリ、其中二ツ翁姥ノ面 ト思ワルヽモノ好手ノ作ト見ユル、其余ハ彫刻モ宜シカラス、右ノ仮面 ノ内ニ塩ノ松神力坊ト書付シモノアリ、当時ノ別 当理宝院ト云ル修験ヨリ十七八代先ノ祖也ト云、古ハ辺鄙ノ村々ニモ舞楽等ヲ奏シテ神ヲ慰シモノト見エテ、右ノ如ク琵琶仮面 ノ類アル也
と見えているが、右の別当理宝院の当時を、編者調査の当時とし、1代を30年に数えれば、「十七八代の先祖」はほぼそれより520~530年以前の鎌倉時代末期に当たる。面の古さ、また面相から見ても、これは正に妥当の年代と思われる。「運慶作」は伝説であろうが、運慶は鎌倉時代初期の人、面ができたのは「神力坊」のときよりなお1代古いかも知れない。
この10面は、単なる信仰面ではなく劇的なものに用いられていることは明らかで、当時、古猿楽がこの辺でも行われていたことを示しており、日本の芸能史上にも貴重な遺品である。ただし、今日猿楽に関する伝承は全くない。
なお、面は従来同社の御神体のように拝殿奥に奉安されてきたというが、それを収めた箱の蓋には「御作、神面、数十」、実の方には「明治二巳年八月吉日、箱寄進 渡辺健左衛門」と墨書されている。