種別
史跡
指定年月日
平成元年2月1日
所在地
二本松市落合2
所有者(管理団体)
安斎範尾(安斎 稔)
概要
杉田地区落合に所在する道標を兼ねた高さ約1m、最大幅約80cmの歌碑である。天保6年(1835年)7月21日、すぐ近くで酒造業を営み、かつ俳人としても有名であった安斎市郎兵衛延徳(俳号・舒嘯亭秋江)によって建立されたもので、自然石の碑面には「安太多良乃禰爾布須思之能安里都都毛安禮波伊多良牟禰度奈佐利曽禰」と万葉仮名で刻まれている。
これは、「安太多良の嶺に伏す鹿猪のありつつも 吾は到らむ寝処な去りそね」と読まれ、その意は「安太多良山に宿る獣のように、私はいつまでもきまってお前を訪れよう。寝所をかえるな」と解釈される若い男の妻訪いの歌である。『万葉集』巻14の「東歌」の最後の1首で、安太多良を詠んだ3首のうちのひとつである。
碑は上下に区分され、歌の下には「東ハ三春四リ 西ハ安達太良山三リ 南ハ本宮一リ半 北ハ二本松廿八丁」と刻まれており、万葉歌碑と道標を兼ねた極めて珍しいものである。