【左から加藤明利墓所、加藤明利位牌、位牌が入っている厨子】
種別
史跡(市指定)
指定年月日
令和5年7月3日
所在地
二本松市竹田一丁目200番地
所有者
顕法寺
概要
【加藤明利墓所】加藤家の菩提寺である顕法寺の墓地最高所にあり、二本松城を間近に望める区域に選地されている。墓碑は、高さ107センチメートル、幅40センチメートル、奥行16センチメートルで花こう岩を用いた山形の頂部をもつ板碑(板石塔婆)形状のもので、自然石の台座に建立されている。明利は、慶長4年(1599)伊予国(現・愛媛県)松山に加藤嘉明の次男(三男とも)として生まれた。寛永4年(1627)2月に嘉明が松山から会津へ移ると、三春3万石を与えられ支配した。しかし、嘉明から二本松5万石を与えられていた娘婿の松下重綱が同年10月に死去したことから、配置転換により寛永5年(1628)1月に二本松城主となった。明利は二本松着任後すぐに、蒲生氏により築かれていた二本松城山頂の本丸を拡張するため石垣の再構築や城の中腹にある二ノ丸、三ノ丸の整備をおこなっている。特に三ノ丸には高石垣を構築し、裾部には武家屋敷を配置するなど、本格的な城郭機能を有した”近世城郭”を完成させた。明利の治世は13年間にわたったが、寛永18年(1641)3月25日43歳をもって逝去した。加藤明利の墓所は、二本松市内に残る明利の存在を示す唯一の遺跡として貴重である。
【附加藤明利位牌】表面に「寛永十八歳次辛巳三月廿五日・宝樹院殿前内侍雲心夢月公大禅定門 正定位・奥州路安達郡二本松府前城主従五品民部大輔加藤氏藤原姓明利」と記された位牌も厨子に入れられ保存されている。位牌が作られた時期は不明だが、墓碑に刻まれた文字と位牌に刻まれた文字は同じであるとの記録があり、墓碑との関連性からも貴重な資料である。