種別
史跡
指定年月日
平成元年2月1日
所在地
二本松市亀谷1ー159ー1
所有者(管理団体)
鏡石寺
概要
亀谷坂頂上にある観音堂境内に所在する。堂正面には延亭2年(1745年)銘「千臂尊」の扁額が掲げられ、境内には天保15年(弘化元・1844)に城下総駅馬ひき達が建立した巨大な馬頭尊の供養塔をはじめ、不動明王の石像や庚申塔が立ち並ぶ。
句碑は石段を登りつめた右側に、高さ約1.3m、最大幅約1.1m、厚さ約25cmの板状の自然石を用い建立されている。風化および一部破損のため少々判読しにくいが、春鏡塚と題し、「人も見ぬ 春や鏡の うらの梅」の句と、建立者として蔵六坊虚来の名が刻まれている。裏面には「題春鏡塚碑陰」として、芭蕉の略歴と虚来が建立したことを記し、末尾に「安永丙申之春 藤宗英識」とあり、安永5年(1776年)に建立されたことがわかる。藤宗英とは、当時二本松藩主の侍医であり文学者であった遠藤鹿山のことであるが、虚来については諸説があるものの正体は明らかでない。この句誌は、同年に虚来が刊行した『満須彌集』にも掲載されている。
市内にある歌碑・句碑の中では最も古く、本市の文化史を考える上で貴重である。
なお、当句は元禄5年(1692年)夏に大阪の車庸が刊行した芭蕉と芭蕉門下の連句・発句撰集『己が光』(『をのが光』)に収められており、元禄5年元旦に作られたことがわかる。その意は、「鏡の裏の模様の梅は、ひっそりと春の訪れを告げている。人が見もしない春というべきであろう。」と解されている。