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浮彫阿弥陀三尊来迎供養塔婆

浮彫阿弥陀三尊来迎供養塔婆1浮彫阿弥陀三尊来迎供養塔婆

種別

有形文化財 歴史資料

指定年月日

平成12年4月1日

所在地

二本松市本町一丁目148番地

所有者(管理団体)

称念寺

規模等

塔高約72.3cm(地表上)、上幅39cm、下幅44cm、厚11cm

概要

塔身上部は欠損しているが、凝灰岩を方形板状につくり出し、正面のみ加工、他の三面は粗加工のままである。正面部は周縁を龕状に区画し、中央に正面向きの来迎相を結ぶ阿弥陀如来が飛雲に立ち、左右の下方に観音と勢至を半肉彫りするいわゆる阿弥陀三尊来迎像で、顔面を傷つけ、風化のため面容は明らかでないが、衣文などは比較的よく保たれている。
像形は迅雲来迎という鎌倉時代の末法観、浄土信仰を示すが、雲上踏割り蓮華坐上の仏、菩薩に流動性が見られず、衣文のひだは稚拙な彫りであるなど固定化された手法で、流行の終末期の傾向技法である。
図像塔婆で年紀のあるものは少なく、本供養塔婆も不明であるが彫刻形式、造形上から南北朝末期、おそらく至徳年間(1384~1386年)前後に建立されたものと思われる。こうした三尊来迎供養塔婆は福島県、とくに中通り地方において特有のものであり、鎌倉~室町時代にかけて建立された地方色の強い石造美術として注目されている。
なお、本来は二本松城内に建立されたが、その位置について『福島県の弥陀来迎三尊石仏』には「三之丸道場谷」にあったといい、『金華鈔』には「鉄砲谷定米蔵の辺り 評定所の庭の堀一重の蔭に有」と明記してある。
なお、称念寺は文治元年(1185年)、尊道の開基と伝えられ、塩沢(現二本松市中ノ目地区)に法相宗の寺院として建立されたが、弘安三年(1280年)になって時宗に改めたと伝えられる。その後、畠山氏が二本松城に居を移した際、時宗を信仰する四代満泰によって城内に移され、畠山家の菩提寺に定められたと寺歴ではいう。また、畠山一族からは時宗総本山の遊行上人として五人輩出しており、そのつながりの深さが注目される。
以上のように、当資料は市内に類例がなく、中世二本松における阿弥陀来迎思想を考える上で、また石造美術史上、その意義と価値は高い。

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  • 【更新日】2017年11月11日
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