二本松から世界へ ~朝河貫一のあゆみ~
朝河貫一博士生誕150年。
世界的な歴史学者朝河貫一博士は、二本松藩士・朝河正澄・ウタの長男として二本松に生まれました。
教師であった父正澄は、5歳になった貫一に『近古史談』や『日本外史』をはじめ、儒教の『四書五経』などを教え、
7歳前後には、すでに12、13歳の学力レベルに達し、「神童」と呼ばれました。
大隈重信をはじめ、時の有力者の推挙と援助を受けて渡米。
ダートマス大学およびイェール大学大学院に学び、日本人として初めてイェール大学教授になりました。
日露戦争は、アメリカの仲介もあって日本の勝利で幕を閉じました。戦後、日本は、20世紀の新外交、
東洋の新しい秩序と平和をもたらす主役となるべきでしたが…。
歴史は繰り返す。
「戦争と科学の世紀、20世紀」の重い課題が「新しい世紀、21世紀」に引き継がれております。
朝河博士が繰り返し述べていたこと。
1 「国家の長久」を第一に考える。
2 「一時の国益と100年の国害」を見定める。
3 「他国に公平な態度」を持つ。
4 日本人がこれまでにない惨禍を招いたのは、日本人の常習となっている「妥協」や「黙従」によるものである。
朝河博士の生涯を貫いた真理を求める不屈の研究態度、厳正中立に立って公平、無私な普遍不党の生き方、人格と
識見、学績と業績、国際政治学に裏打ちされた平和思想に根ざす祖国愛に燃えた言論活動など、
その精神は今なお現代社会に警鐘を打ち鳴らし続けております。
私たちは、今、世界史的な視野に立って、歴史を学び、現在を認識しなければなりません。
世界の平和と繁栄、人々のしあわせを祈りながら… 。
二本松市長 三保 恵一