時代を語る城の石垣
二本松城は日本100名城に選ばれた国史跡であり、中世の城館と山麓の近世城郭という二つの顔を持つ城です。
室町時代中期、奥州管領の畠山満泰が築造し、天正14年には伊達政宗に攻略され、豊臣秀吉の奥州制圧後は、会津藩主となった蒲生氏郷の支城となりました。
二本松城に石垣が積まれ、近世城郭となったのはこの頃です。
本丸の石垣は、慶長期に蒲生氏が築いた最古の石垣から、加藤氏による寛永期のもの、さらに江戸後期の石積みまで確認されており、本丸直下南面の石垣は「野面積み」で築かれ、高さ約13mにも及びます。
寛永20年には丹羽光重公が入城し、山麓に三ノ丸御殿や箕輪門を建て、城下町を整備しました。
三ノ丸の石垣、特に南面の高石垣は城内で最も豪華とされています。
令和7年度の第33次発掘調査では、搦手門から北に伸びる石垣の総延長が58mと確認され、石垣北端の状況が初めて明らかになりました。
二本松城の石垣は防御機能だけでなく美的価値も高く、自然の地形を巧みに取り込み、景観に溶け込む美しさを見せています。
野面積みから切石積みへの変遷は、日本の城郭石垣技術の進化を物語る「歴史の語り部」です。
春には石垣を背景に桜が咲き乱れ、本丸跡や箕輪門周辺の風景は「日本の美」を象徴する絶景となります。
8月は霞ヶ城公園の夜のライトアップを行います。公園内の日本庭園ゾーンをライトアップするほか、一部石垣も照らします。
日中見る二本松城とはまた違った姿を見せてくれることでしょう。
この歴史と文化の遺産である二本松城の石垣を、未来に引き継いでまいりましょう。
二本松市長 三保 恵一